コラム

収入が社会貢献の対価というのは、勘違い

社会貢献度の高い仕事ほど稼げない

「収入=社会に価値提供した金額」と考えますが、これは勘違いの気がしてきました。同じく「人の為=対価」も。
社会貢献度の高い仕事とは、「私が社会のために出来ると思う仕事」だと思います。電車の運転手とか、バスの運転手とか、ゴミ収集車とか、防災対策とか、困った人対策とか、老人対策とか。でも必要とされている仕事って賃金が低い。社会の為、街の為、だから賃金が低くて良いという風習が多くありすぎます。「もう街の為にイベントしないのですか?」と言われた事があります。すごくショックでした。私は「自分の家族の為にボランティアでは活動しない」と言ったのです。言ってきた方は公務員の方でした。

○○のため、〇〇が良くなるように

とある補助金に即席で考えたネタで参加しました。もちろん熱量の想いがなく参加したので落選しましたが、その時の事「街のために〇〇しています。参加者は300円で参加しています。」収支があっていません。「500円にしようとしたら反対にあいました。なので補助金ください。」とある方が、この様な言葉を聞いたとき、ショックでした。さらに、ここでは書かないですが、私の心に雑音が入るような話しが何個かありました。1日中モヤモヤで気分悪かったです。。

お金を稼いでも貢献出来る事があるはず

私の中でずっと想っている事ですが、お金を稼ぎながらでも貢献出来ることはあると信じています。きっとみなさんのイメージで「お金を稼ぐと逃げる」があるのと思います。「稼がれる=窃盗」なのでしょうかきっと。そのお金はあなたのもとに回ってこないのでしょうか?私はまず家族の為にも稼ぐ事を夢見て行こうと思います。でもそれは社会貢献的な動きの中で稼ぎ、それに関わっていただく人にも稼いでもらいます。みんなです。誰ひとり泣く事は許されません。楽しい事をしようとしているのに泣く人がいるのは許されません。
私は家族や仲間が余裕のある暮らしが出来た、それ以上のお金は、今こうやって自分自身が苦労しているので、同じように頑張る人に投資したいと思っています。ってか、夢見てるほどの距離感の事ですがいつかきっと。

今日も頭抱えて寝ます。